嫌われる勇気を再度読み返してみた
今日帰ります
昔流行った嫌われる勇気...アドラー心理学の本ですね
今更ですがこの本の僕なりの理解を書いていきます
本は一度だけ読むのではなく何度も忘れた頃に読むと以前とは違う視点から物事を捉える事が出来る確率が上がるのでやる事を勧めます
では今更の嫌われる勇気ですが僕はよく募金や寄付行為を行うとブログで書いてますがそれは募金をして恵まれない人の役に立つ、とかそんな理由で寄付行為を僕はしてない
理由は当たり前だけど自分の為にやっているのです
は!って思いますか?
そんな事はないです、紛れもなく自分の為に僕はやってます
何故?って物事って全て自己満足の世界だと思う
色々な選択肢から自分がそれを選ぶのは全て自己満足の世界です
寄付や募金だって自己満足なだけです
自分は募金してるんだ、人の為にやってるんだ....と勝手に自己満足に浸ってるだけです
何故?ってそのお金が実際には何にどれだけ何の目的で使用されてるか?何て分かるはずないから...
でもきっと必要とされている人に使われてるって勝手に思って満足している
でもそれでいいのです...
食べ物だって例えば漁師が魚を獲って無駄なく食べてくれるか?何ていちいち考えて漁などしないし、その魚を運ぶ運転手も廃棄などせずにキチンと販売してくれるか?何て考えながら運転などしません、また魚を売るお店も買ってくれた人がキチンと料理をして魚を食べて食材に感謝してくれてるか?何て考えて販売なんてしてません
皆んな自分の為にやってるだけでそれが間接的に人の役に立ってるだけです
別に他人に好かれたり感謝される為にやってる訳ではないのです
結果的に役に立ってるから好かれると思い込んでるだけです
なので人の為に何かをやるって考え方は自分の思いや考え方と違う結果になれば辛いだけの感情だけ残ります...
何故?って人の為にやる...って考え方なら自分の思いと相手側が違う結果になったらどうします?
何だよ、ガッカリ、ふざけんな...などとなるだろ
だから何かをやる時は自分の為にやるべきなのです
人にプレゼントをして相手が気に入らなかったとしても、それが自分の為に自己満足で相手にプレゼントを渡したならそれでいいじゃん
まぁだから僕は基本人に物をあげる時は前もって聞くけどね...
相手に好かれる為にやるのではなく自分の為にやる事が今回読み返してみたアドラーの嫌われる勇気でした
では...